当事者体験談(市原早耶香の場合)

デイケアに通う日々 

 *このページでは途中、暗い内容を記載しております。ご理解頂ける方のみお読みください。*

 本当は退職なんかしたくなかった。自分にはまだ百貨店で働けると、家族に訴えた。判断力も低下していたため、どれほど働けない状態にいるのか、この頃はわかっていなかった。

そんな私を見かねて、両親は納得させるため、デイケアというところに毎日通ってみるよう促してくれた。

何ヶ所か、どこのデイケアにするか見学・体験させてもらい、2015年4月から、週3日通うのが精一杯だった。

 デイケアでは、復職のためのプログラムや生活訓練のプログラムがあった。また、利用者同士で、トランプや手芸、折り紙をしたり、デイケア内での喫茶作業もした。

 しかし、私が通ったそのデイケアの利用者は、50代~60代の方が多く、20代は数名だった。

 このような中で、だんだんやりたくないオセロのお誘いを断る日々に嫌気がさし、私の一生はトランプのババ抜きや大富豪をしてばかりで終えるのかと思うと、

とても不安で、結婚・出産ラッシュの友だちと比較してしまい、

毎晩、両親を呼んでは、「ねぇ、死にたいんだけど。」

と言っていた。

 アカシジアで苦しむ日々の中、唯一楽しみだったのは、母との夕方の散歩。

 どうしたら誰にも迷惑をかけずに死ねるか、どうしたら親より先に死ぬことができるかばかりを話す私に、母は、「ほんとそうだよねぇ」と言ってくれたのが救われた。(私は一度も自殺行為すらできなかったが、考えるにつれて、死ぬのがこんなにできないなら、一生懸命生きようと決めた。

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